価値観は変転する

おりづるらん

 

仕事先からの帰路、時間がたっぷりあったので『定石革命』芝野虎丸を熟読しました。(三度、目を通しました。)

   この△、漫然と辺を打つのはAI的には(=現在のプロ的には))「甘い。」ので、今は左下星から下辺向きの小ゲイマにしまるといった隅を大事にする打ち方をするのだとか、そういう話を、虎丸プロがまとめてくれている本です。(原理的にいえば、辺の価値が下がって、隅の価値があがってるということだそうです。)

感覚的には分かるような気がします。私の発想は昭和的で、この△にあまりネガティブでもないので、△や現代的な星からのしまりや、そのときどきの気分で選択してますが、ただ、昔から、△を自分の内から是非打ちたいと感じたというよりも、プロがそう打ってるのだから後の打ち方しだいなんだろうから、発展性があるってこういう感覚なんだろうな、という受け入れ方をしてたわけです。(そもそも、「星からしまる」という発想が否定されていましたしね。)


   ところで、(昭和の頃の)私の態度、今、プロがAIに接している態度と似てないか???ってふと思ってしまいました。自分ではよくわからないけど、自分より強い人(AI)がそういうのだから、そうなんだろう、って態度....。プロは、お気楽なアマの私とはちがって、そうなんだろう、ってところを「本当にそうか?」と突き詰めようとしますから、そこは全くちがうんですけど、なんか、出発点が似てるような。

 

   プロがアマチュア化した??そもそも「学ぶ」とはそういうこと??